「 開局40周年にあたって 」
1975年9月2日、アマチュア無線局『JI1NNE 』が開局しました。
それからは、HF帯からUHF帯まで、色々な無線機とアンテナで運用し、無線機・アンテナの自作、移動運用、コンテスト、アワードなど、経済的に、技術的に可能な限り、色々な分野でアマチュア業務を楽しみました。 1.2GHzーATVをやっていた1988年頃がピークだったと思います。
1992年、結婚を機にQRT、免許状の更新は続けていましたので、コールサイン『JI1NNE 』が他人に渡ることはありませんでしたが、約23年間、休局となっていました。
昨年、6月、どうしてもアマチュア無線をやりたくなり、いろいろと準備をして、なんとか復活することができました。
Facebookグループの人たちに刺激され、今年になって第一級アマチュア無線技士になれたことも夢のようです。
復活後の活動の一部は、ブログで紹介したとおりです。
無線設備は、1992年頃までのものとは程遠いものですし、無線機のデジタル化やビジュアル化にはついていけませんが、自作・工作を中心にそこそこ楽しんでいます。
復活してみて、アマチュア無線は、自分にとって生きがいであり、”ライフ・ホビー”だなぁとつくづく感じている日々です。
多分、人生の終わりまで続けられる趣味ではないかと思います。
最初の無線設備は、入門機として絶大な人気を誇った無線機ナショナルのRJX-601とマスプロ電工の3エレ八木アンテナ50T3でした。 写真は、最初の工事設計書の写しで、シンプルそのもの。
RJX-601は現在も使用可能で、今でも第1送信機として登録されています。

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それからは、HF帯からUHF帯まで、色々な無線機とアンテナで運用し、無線機・アンテナの自作、移動運用、コンテスト、アワードなど、経済的に、技術的に可能な限り、色々な分野でアマチュア業務を楽しみました。 1.2GHzーATVをやっていた1988年頃がピークだったと思います。
1992年、結婚を機にQRT、免許状の更新は続けていましたので、コールサイン『JI1NNE 』が他人に渡ることはありませんでしたが、約23年間、休局となっていました。
昨年、6月、どうしてもアマチュア無線をやりたくなり、いろいろと準備をして、なんとか復活することができました。
Facebookグループの人たちに刺激され、今年になって第一級アマチュア無線技士になれたことも夢のようです。
復活後の活動の一部は、ブログで紹介したとおりです。
無線設備は、1992年頃までのものとは程遠いものですし、無線機のデジタル化やビジュアル化にはついていけませんが、自作・工作を中心にそこそこ楽しんでいます。
復活してみて、アマチュア無線は、自分にとって生きがいであり、”ライフ・ホビー”だなぁとつくづく感じている日々です。
多分、人生の終わりまで続けられる趣味ではないかと思います。
最初の無線設備は、入門機として絶大な人気を誇った無線機ナショナルのRJX-601とマスプロ電工の3エレ八木アンテナ50T3でした。 写真は、最初の工事設計書の写しで、シンプルそのもの。
RJX-601は現在も使用可能で、今でも第1送信機として登録されています。

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「 アマチュア無線との出会い 」
1971年頃
私のアマチュア無線との出会いは小学校6年生、2歳年上の兄とアマチュア無線をやっている兄の友達の家に遊びに行った時です。 無線機から聞こえてきた(たぶん7MHz A3)混信ぎみの交信の声に衝撃を受けました。 その瞬間、「これはやってみたい!」と思い、どうしたらできるのか聞いたところ、JARL発行の「電信級・電話級アマチュア無線技士用初級アマチュア無線教科書」を持ってきて、これを勉強して国家試験に合格、免許を取らなければならないとのこと。 電気や工作には興味はありましたが、小学校6年生にとって真空管回路や無線機のしくみが書かれたこの教科書の内容はとても難しすぎて、すぐに免許を取るというわけにはいきませんでした。
教科書写真
1972年~
次のアマチュア無線との出会いは中学校に進学した時、兄と同じ公立中学に進んだので、当然兄の友達に会えるわけですが、兄の友達は3年生で“物理・化学部”の部長をしていてましたので、なんとなくそこに入部したわけです。 部には無線機は無く、クラブ局も無かったのですが、文化祭になると部長がどこからか(おそらく市内のアマチュア無線専門ショップから)144MHzのトランシーバーを借りてきて公開運用をしていました。
この頃、7エリアに住んでおり、部長は“JA7・・・”のコールサインをもっていましたが、そろそろ“JH7”のフリフィックスが割り当てれるるのではないかという話が部内で話題になり、ちょっとガッカリした憶えがあります。
私は免許がなかったので、当然、運用できず、交信する姿を羨ましそうにみているだけでした。 また、私は家にあった短波帯の聴けるSONYのトランジスターでBCLの真似ごとをやったり、簡単な電子工作をしていました。
下の写真は、この頃熱心に買って読んでいた雑誌「 初歩のラジオ 」です。

1974年頃
アマチュア無線の免許を本格的に思ったのは中学2年の後半ですが、勉強を始めたころに父親の仕事の都合で東京に引越し、転校することになりました。 時期は私が3年に進級する直前の春休みでした。 それならば、春休みに東京で4月期電話級アマチュア無線技士国家試験を受けようと勉強したのですが、結局、努力のかいもなく?“不合格”となりました。 中学3年生になってましたので、高校に進学するまでアマチュア無線免許取得はおあずけとなってしまいました。
この後の従事者免許取得(アマチュア無線技士国家試験)については、《 アマチュア無線年表 》をご覧ください。
私のアマチュア無線との出会いは小学校6年生、2歳年上の兄とアマチュア無線をやっている兄の友達の家に遊びに行った時です。 無線機から聞こえてきた(たぶん7MHz A3)混信ぎみの交信の声に衝撃を受けました。 その瞬間、「これはやってみたい!」と思い、どうしたらできるのか聞いたところ、JARL発行の「電信級・電話級アマチュア無線技士用初級アマチュア無線教科書」を持ってきて、これを勉強して国家試験に合格、免許を取らなければならないとのこと。 電気や工作には興味はありましたが、小学校6年生にとって真空管回路や無線機のしくみが書かれたこの教科書の内容はとても難しすぎて、すぐに免許を取るというわけにはいきませんでした。
教科書写真
1972年~
次のアマチュア無線との出会いは中学校に進学した時、兄と同じ公立中学に進んだので、当然兄の友達に会えるわけですが、兄の友達は3年生で“物理・化学部”の部長をしていてましたので、なんとなくそこに入部したわけです。 部には無線機は無く、クラブ局も無かったのですが、文化祭になると部長がどこからか(おそらく市内のアマチュア無線専門ショップから)144MHzのトランシーバーを借りてきて公開運用をしていました。
この頃、7エリアに住んでおり、部長は“JA7・・・”のコールサインをもっていましたが、そろそろ“JH7”のフリフィックスが割り当てれるるのではないかという話が部内で話題になり、ちょっとガッカリした憶えがあります。
私は免許がなかったので、当然、運用できず、交信する姿を羨ましそうにみているだけでした。 また、私は家にあった短波帯の聴けるSONYのトランジスターでBCLの真似ごとをやったり、簡単な電子工作をしていました。
下の写真は、この頃熱心に買って読んでいた雑誌「 初歩のラジオ 」です。

1974年頃
アマチュア無線の免許を本格的に思ったのは中学2年の後半ですが、勉強を始めたころに父親の仕事の都合で東京に引越し、転校することになりました。 時期は私が3年に進級する直前の春休みでした。 それならば、春休みに東京で4月期電話級アマチュア無線技士国家試験を受けようと勉強したのですが、結局、努力のかいもなく?“不合格”となりました。 中学3年生になってましたので、高校に進学するまでアマチュア無線免許取得はおあずけとなってしまいました。
この後の従事者免許取得(アマチュア無線技士国家試験)については、《 アマチュア無線年表 》をご覧ください。
《 アマチュア無線年表 》
少し大きい文字
[ 電話級アマチュア無線技士 ]
1975年(昭和50年)4月 4日 電話級アマチュア無線技士国家試験受験@大田区西蒲田 日本電子工学院
5月19日 合格
6月20日 電話級アマチュア無線技士従事者免許取得

7月30日 無線設備保証認定通知 from JARL
8月30日 アマチュア無線局 「 JI1NNE 」 開局( 10W移動局 )
[ 電信級アマチュア無線技士 ]
1978年(昭和53年)3月28日 電信級アマチュア無線技士国家試験受験@大田区西蒲田 日本電子工学院
(電気通信術)
4月10日 電信級アマチュア無線技士国家試験受験@大田区西蒲田 日本電子工学院
(学 科)
5月15日 合格
7月20日 電信級アマチュア無線技士従事者免許取得

[ 第二級アマチュア無線技士 ]
1979年(昭和54年)3月30日 第二級アマチュア無線技士国家試験受験@大田区西蒲田 日本電子工学院
(電気通信術)
4月 5日 第二級アマチュア無線技士国家試験受験@大田区西蒲田 日本電子工学院
(学 科)
6月25日 科目合格(電気通信術)
1980年(昭和55年)4月 3日 第二級アマチュア無線技士国家試験受験@大田区西蒲田 日本電子工学院
(学 科)
6月25日 合格
8月20日 第二級アマチュア無線技士従事者免許取得

1985年(昭和60年) 8月30日 10Wから50W移動局に変更
1986年(昭和61年)10月20日 100W固定局( JI1NNE )開局
1991年(平成3年) 6月 結婚により実家を離れたため休局
2014年(平成26年) 7月 復局
[ 電話級アマチュア無線技士 ]
1975年(昭和50年)4月 4日 電話級アマチュア無線技士国家試験受験@大田区西蒲田 日本電子工学院
5月19日 合格
6月20日 電話級アマチュア無線技士従事者免許取得

7月30日 無線設備保証認定通知 from JARL
8月30日 アマチュア無線局 「 JI1NNE 」 開局( 10W移動局 )
[ 電信級アマチュア無線技士 ]
1978年(昭和53年)3月28日 電信級アマチュア無線技士国家試験受験@大田区西蒲田 日本電子工学院
(電気通信術)
4月10日 電信級アマチュア無線技士国家試験受験@大田区西蒲田 日本電子工学院
(学 科)
5月15日 合格
7月20日 電信級アマチュア無線技士従事者免許取得

[ 第二級アマチュア無線技士 ]
1979年(昭和54年)3月30日 第二級アマチュア無線技士国家試験受験@大田区西蒲田 日本電子工学院
(電気通信術)
4月 5日 第二級アマチュア無線技士国家試験受験@大田区西蒲田 日本電子工学院
(学 科)
6月25日 科目合格(電気通信術)
1980年(昭和55年)4月 3日 第二級アマチュア無線技士国家試験受験@大田区西蒲田 日本電子工学院
(学 科)
6月25日 合格
8月20日 第二級アマチュア無線技士従事者免許取得

1985年(昭和60年) 8月30日 10Wから50W移動局に変更
1986年(昭和61年)10月20日 100W固定局( JI1NNE )開局
1991年(平成3年) 6月 結婚により実家を離れたため休局
2014年(平成26年) 7月 復局