「 AMループアンテナ② 」
「 AMループアンテナ① 」
「 モールス生誕225年 」
1791年の今日、4月27日は、サミュエル・フィンリー・ブリース・モールス(1791年 - 1872年)の誕生日。
”モールス信号”ではあまりにも有名ですが、ニューヨーク大学の美術教授を務めた画家でもあったことは、あまり知られていません。
過去、海上船舶の緊急時の通信にはもっぱらモールス信号が使われていましたが、今はアマチュア無線など、ごく一部でしか使われなくなってしまいました。
モールスは、1832年にヨーロッパでの美術遊学を終え、アメリカへ帰る船の中で、電磁気学に詳しいチャールズ・トーマス・ジャクソンと出会います。
彼は、前年にジョセフ・ヘンリー博士が発明した「電磁石」の話をモールスにし、実物を見せます。
導線を巻き付けただけの鉄心が、電流を流すことで磁石となり、釘などの鉄片を吸い寄せるという、今でいえば、小学生の理科の実験のような簡単な見世物でしが、電磁石は1829年にスタージョンによって発明されたばかりで、当時の人にとっては最新の科学でした。
モールスはこの電磁石を見て、「この導線を伸ばして、片方から電流を流したり、切ったり操作すれば、もう一方もそれに応じて反応するはず。それを応用して信号を送ることができるのではないだろうか」と考えました。
これが、有線電信機を発明するきっかけとなったわけです。 凡人と天才はここが違いますね。(笑)
しかし、ここからが苦労の始まり。特許闘争と郵便の既得権益を守ろうとする人たちとの争いe.t.c.・・・。
モールス符号と有線電信システムの特許を取得できたのは、11年後の1840年になります。

ブログランキングに参加しています。 応援宜しくお願いします。
こちらをクリックしてください。↓


”モールス信号”ではあまりにも有名ですが、ニューヨーク大学の美術教授を務めた画家でもあったことは、あまり知られていません。
過去、海上船舶の緊急時の通信にはもっぱらモールス信号が使われていましたが、今はアマチュア無線など、ごく一部でしか使われなくなってしまいました。
モールスは、1832年にヨーロッパでの美術遊学を終え、アメリカへ帰る船の中で、電磁気学に詳しいチャールズ・トーマス・ジャクソンと出会います。
彼は、前年にジョセフ・ヘンリー博士が発明した「電磁石」の話をモールスにし、実物を見せます。
導線を巻き付けただけの鉄心が、電流を流すことで磁石となり、釘などの鉄片を吸い寄せるという、今でいえば、小学生の理科の実験のような簡単な見世物でしが、電磁石は1829年にスタージョンによって発明されたばかりで、当時の人にとっては最新の科学でした。
モールスはこの電磁石を見て、「この導線を伸ばして、片方から電流を流したり、切ったり操作すれば、もう一方もそれに応じて反応するはず。それを応用して信号を送ることができるのではないだろうか」と考えました。
これが、有線電信機を発明するきっかけとなったわけです。 凡人と天才はここが違いますね。(笑)
しかし、ここからが苦労の始まり。特許闘争と郵便の既得権益を守ろうとする人たちとの争いe.t.c.・・・。
モールス符号と有線電信システムの特許を取得できたのは、11年後の1840年になります。

ブログランキングに参加しています。 応援宜しくお願いします。
こちらをクリックしてください。↓


「 マルコーニ生誕142年 」
今日は、世界で初めて無線による通信を行ったイタリアのグリエルモ・マルコーニの生誕142年の日。
1895年の無線通信実験の成功の後、マルコーニはアイルランド貴族出身の母親の出資と実業家としての手腕を発揮して、1897年にはマルコーニ無線電信会社を創立。
1912年のタイタニック号遭難の際に乗船し、救難信号『SOS(CQD)』を世界で初めて発信した無線技師2人はマルコーニ無線電信会社の社員だったそうです。
救難信号は、近くを航行していた船舶に受信され、救出に向かったことで約700名の命が救われました。
タイタニック号遭難事故をきっかけに、無線通信の重要性とマルコーニの名声は世界中に広まります。
また、同年12月には大西洋横断無線通信(3,200km)にも成功します。
大西洋横断無線に成功したことで、地球の球面が無線通信の障害ならないことが証明され、マルコーニ無線電信会社のさらなる事業発展につながります。

1937年7月20日午前3時45分、心臓発作後の治療の甲斐もなく亡くなります。享年63歳。
事業家として多忙で苦悩が絶えなかったのかもしれません。
イタリア・ボローニャ県にあるマルコーニが暮らした邸宅は、現在、マルコーニ博物館になっています。(下の写真)

「父マルコーニ」は、マルコーニの長女、デーニャが執筆した1冊。

アマチュア無線家以外の人たちも日々、無線通信のお世話になっています。
無線通信の実用化と発展に大きく寄与したマルコーニの貢献は称えられるべきです。
1895年の無線通信実験の成功の後、マルコーニはアイルランド貴族出身の母親の出資と実業家としての手腕を発揮して、1897年にはマルコーニ無線電信会社を創立。
1912年のタイタニック号遭難の際に乗船し、救難信号『SOS(CQD)』を世界で初めて発信した無線技師2人はマルコーニ無線電信会社の社員だったそうです。
救難信号は、近くを航行していた船舶に受信され、救出に向かったことで約700名の命が救われました。
タイタニック号遭難事故をきっかけに、無線通信の重要性とマルコーニの名声は世界中に広まります。
また、同年12月には大西洋横断無線通信(3,200km)にも成功します。
大西洋横断無線に成功したことで、地球の球面が無線通信の障害ならないことが証明され、マルコーニ無線電信会社のさらなる事業発展につながります。

1937年7月20日午前3時45分、心臓発作後の治療の甲斐もなく亡くなります。享年63歳。
事業家として多忙で苦悩が絶えなかったのかもしれません。
イタリア・ボローニャ県にあるマルコーニが暮らした邸宅は、現在、マルコーニ博物館になっています。(下の写真)

「父マルコーニ」は、マルコーニの長女、デーニャが執筆した1冊。

アマチュア無線家以外の人たちも日々、無線通信のお世話になっています。
無線通信の実用化と発展に大きく寄与したマルコーニの貢献は称えられるべきです。
「 国際マルコーニ・デー 」
今日は、世界で初めて無線による通信を行ったイタリアのグリエルモ・マルコーニを記念する日。
ドイツのハインリヒ・ヘルツ(後に周波数の単位「Hz」となる)が1888年に世界で初めて、電磁波の存在を実験で照明することに成功したという記事をたまたま科学雑誌で読んだ14歳のグリエルモ少年は、電線が無くとも通信ができるのではないかと考えた。それはヘルツ自身も気がついていない天才的な着想。

そして、1895年4月23日、マルコーニが自宅の窓からモールス信号で1マイル(1.6km)の無線通信に成功した。
また、これ以前に、送受信機(火花送信機とコヒーラ検波器)のアンテナを長く、垂直に配置して、一端を接地させると通信距離が大幅に延びることも発見しています。
これが世界初の無線通信である。

これ以前に無線通信実験に成功した研究者がいたという話もあります。
とにかく、ここから無線通信は凄まじい勢いで発展していき、今日に至っています。
ドイツのハインリヒ・ヘルツ(後に周波数の単位「Hz」となる)が1888年に世界で初めて、電磁波の存在を実験で照明することに成功したという記事をたまたま科学雑誌で読んだ14歳のグリエルモ少年は、電線が無くとも通信ができるのではないかと考えた。それはヘルツ自身も気がついていない天才的な着想。

そして、1895年4月23日、マルコーニが自宅の窓からモールス信号で1マイル(1.6km)の無線通信に成功した。
また、これ以前に、送受信機(火花送信機とコヒーラ検波器)のアンテナを長く、垂直に配置して、一端を接地させると通信距離が大幅に延びることも発見しています。
これが世界初の無線通信である。

これ以前に無線通信実験に成功した研究者がいたという話もあります。
とにかく、ここから無線通信は凄まじい勢いで発展していき、今日に至っています。
「 アマチュア無線機メインテナンス・ブック TRIO/DRAKE編 」
Amazonでポチった「アマチュア無線機メインテナンス・ブック TRIO/DRAKE編」が届きました!

著者は、FBでお世話になっている皆さん。
アマチュア無線機のレストアには高度な技術と測定器などが必要なので、簡単ではありません。
レストアの予定も資金もありませんが、知的好奇心で買ってしまいました。
著者のご苦労に感謝しつつ、勉強させてもらいます。
詳細は、CQ出版のWebページを参考にしてください。
CQ出版 Webページ
ブログランキングに参加しています。 応援宜しくお願いします。
こちらをクリックしてください。↓



著者は、FBでお世話になっている皆さん。
アマチュア無線機のレストアには高度な技術と測定器などが必要なので、簡単ではありません。
レストアの予定も資金もありませんが、知的好奇心で買ってしまいました。
著者のご苦労に感謝しつつ、勉強させてもらいます。
詳細は、CQ出版のWebページを参考にしてください。
CQ出版 Webページ
ブログランキングに参加しています。 応援宜しくお願いします。
こちらをクリックしてください。↓

